ぼさとの定規

元書店員ぼさとが社会のこと、書店のことなど、思ったことを書いていきたいと思います。

なぜ、日本の教育では「将来自分がなりたい姿」をイメージさせるような教育がないのか。高校のときの進路説明会で「生涯年収が高いと幸せになる」って教えられたんだけど、これって社畜になって生きろって言っているようなものだよねって思った話。

 

日本ではまず、どこかに就職することが「社会人」としての第一歩ですと小中高の教育や倫理観として教えられてきています。
たとえ、大学や短大、専門学校に行っても卒業と同時に内定をもらっていなければこまるでしょ?みたいな圧力をかけたり、就職セミナーなどでも「就職した会社でのキャリア形成を今から描け」だとか、「一回選んだ会社には最低でも3年所属しなさい」だとか、「会社をすぐにやめて転職をするとキャリアに取り返しのつかない傷がつくから無茶なことはやめなさい」だとか、なんとも保守的な考えに基づいて、若者に教えています。

私がこういった思考に疑問に思い始めたのは高校の時に受けた進路選択について説明される集会でのことでした。
2年生の時だったと思います。体育館にわざわざ集められて、大学、短大、専門学校への進学のメリットと高卒で就職するメリットと進路が決まらず、フリーターなどで働くメリットについて説明がありました。

その説明の中でクローズアップされたのが、生涯収入についてでした。お金が一番もらえるのは大卒で卒業した場合だから、まずは大学へ進学しなさいと大学進学をお勧めしたあと、手に職をつけるには短大、専門学校でいいけど大卒よりもらえるお金は少ないよと、高卒で就職してもいいけど大卒と生涯年収にかなりの差(当時のデータで1億くらいだったと思います)が出るよとか説明がされました。

そして、契約社員派遣社員、フリーターで一生働くのはいいけど、生涯年収が一番低いからやめたほうがいいよとお決まりのようにそういった生き方はダメだという結論で終わりました。
その時はまだ高校生でなにもわかってはいないのでぼんやりと違和感がありました。なぜ、契約社員やフリーターはダメなのか?なぜ、生涯年収が低ければダメなのか?そんなもやもやがありました。

いま、思ってみると当時の教育(10年以上前)で生涯年収が多ければ多いほど、豊かであり、あたかも幸せな生活であるというような偏った表現であるように思えます。
確かに一つの指数として生涯年収を取り上げるのは別にいいと思います。
しかし、高校生の進路指導において一番大事なのは「教育が終わった後、自分がどのようにイキイキとした人生を送ることができるか」ということがコアとなるはずじゃないでしょうか?

18歳の時に「自分がなりたい姿」が見えている人は日本では少数のような気がします。なぜ、「自分がなりたい姿」をイメージすることができないかというと、上記のダメな進路説明会ようにただ、大学に進学して、働いてお金もらって、結婚して、定年を迎え、老後を楽しめばいいやくらいにしか高校生にイメージを与えることができないからではないでしょうか。
そんな、安泰な時代はとっくの昔に終わっているのに、高度経済成長期で時が止まったままの思考で「生涯年収が多ければ幸せです」みたいなことしか教えてないから自分のなりたい姿をイメージすることができないのではないのでしょうか?

例えば、フリーターで25歳くらいまで働いていて、そのまま内部登用でアルバイトから正社員になるような人生もありますし、もっとぶっ飛んで考えてみると、ニートや引きこもりがIT関係の会社を立ち上げて就職したことがない状態で社長になったとか、そういった事例たくさんありますよね?
キャリアにとらわれなくても、年収100万くらいでひっそりと暮らすのもいいこと(例:20代で隠居 週休5日の快適生活 年収90万円で東京ハッピーライフ)だとか若いうちに世界一周をして、自分探しをしてみようとか現代ではそういったゆるい要素も必要だとだと私は思います。

でもそれは「例外だから」とか「社会人らしくない」いう理由でおそらくそういったキャリアの説明会には出てきません。
日本では社畜になって社会人として生きることが正しいことなのでしかたないのかもしれませんね。
いま、高校生、大学生くらいの方は後悔しないうちにいろいろ考えたほうがいいかもですね。

それでは今回もこれでお開きです。

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