ぼさとの定規

元書店員ぼさとが社会のこと、書店のことなど、思ったことを書いていきたいと思います。

【タチが悪いクレーマーを作っているのは現代の教育が悪い】〇×だけで物事を測ろうとすればするほど、思考停止になり厄介な人になると思う。

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正誤で物事を判断することがなぜかどの世代にも物事の良し悪しを測る基準になっているのはごく普通のこととして私たちの生活に染みついています。
現代社会では法律で人と人がトラブルを起こすことによって大きな損失が生まれたりすることは「悪いこと」と判断された場合は処罰されるようなシステムになっています。

賄賂などでその「悪いこと」とという判断をひっくり返し罪人が無罪になるなど、表面的に日本ではそうしたことは見えず、司法が機能しているからこそ治安が維持されている側面があるかと思います。(その逆の冤罪などは多々ありますが)

今回は法律で罪人を裁くという正誤判断ではなく、普段生活している中でのレベルの話になります。

小学校1年生から義務教育が始まるとき、まず、授業を成立させるために遊び盛りの子どもに対して「授業中に話したり、騒ぐのはいけない」や「授業がつまらなく、タメにならないものでも我慢して座り続けなければならない」「集団行動から逸脱した行動をしてはいけない」など様々な決まりを押し付け、それに合わない行動をした場合は先生に怒られるという洗脳を行います。
そして、勉強の内容も模範解答通り忠実に答えることができれば優秀とされ、もし正解であってもあまりにも独創的すぎる答えの場合は正しい答えとされない独創性を潰すような教育方針が今でも取られています。

義務教育でそのように〇×でしかまるで物事を測れないような教育を行っているからこそ、〇×でしか物事を見ることができない大人になってしまうのではないかと私は思います。
そうした教育を純粋に受けてしまい自分の頭で考えることを子どもの時からやめてしまった場合、価値観が硬直した大人になってしまう恐れがあります。
例えば、以下の記事に書いたように「社会人」という言葉に囚われてしまったり、現代の価値観を理解することができず、古い価値観のままトンチンカンで的外れなことばかり言うなどがそれにあたります。

bosatonozyougi.hatenablog.com

 

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私は日本人のクレーマーのほとんどは几帳面に物事を〇×でしか考えることができず、そのクレーマーが考える常識から少しでも外れていれば、文句を言うことができると思っている頭の悪さにあると思っています。

そうしたクレーマーは物事を柔軟に考えられず、自分が出した対価に対してのサービスの質についても考えることなく、すべてもらえて当たり前と思考が停止しているのです。
少しでも自分の頭で考えられる人は自分の払った対価に対してサービスが釣り合っていないとき(対価に対して不利益を被ったとき)に初めてクレームを言うはずです。
(サービスの対価についてはこの記事でも記載しています。【サービス過剰】「お客様は神様」をしすぎた結果、勘違いをして日本人は横暴になってしまった。それでいて、素晴らしいサービスを受けたときにチップを支払わないケチで小さい人ばかりになったんだなって思った。 - ぼさとの定規

日本人にクレーマーがタチが悪いのは義務教育で〇×基準で考えることを洗脳されて思考停止している「風紀委員」のような考え方の人があまりに多いからだと思います。
※日本人クレーマーのタチの悪さは下記記事にわかりやすく掲載されていました。

www.mag2.com

そうした人はある意味、個を潰して団体行動に徹する日本の教育の目的を見事に達成してくれている人でもあると思います。
違う見方をすると自分を個性を忘れて自分の頭で考えることができないゾンビみたいな存在でもありますね。

これはクレーマーに限らず、プライベートの時間を潰してまで会社のためだけに長時間労働する社畜も同じ思考の人が多いと思います。(プライベートと会社を両立できている人はもちろん該当しません)

バカの考えているということは物事を〇×で測ることであり、それは刷り込まれた価値観と比べてどっちが善意としてとらえられるかということしか考えていませんので、自分の頭で考えている訳ではありませんよね。

〇×ばかりの既存の価値観に縛られず、自分の頭で考えて行動をとっていきたいものです。

それでは今回もこれでお開きです。

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