ぼさとの定規

元書店員ぼさとが社会のこと、書店のことなど、思ったことを書いていきたいと思います。

労働時間を短縮するために生産性向上しようという前に8時間で処理することができる一人当たりの適正な仕事量を考えたほうがいいと思った。

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この記事では8時間労働について疑問を感じるという内容でしたが同感でした。この記事でも解決策として「生産性を向上すれば労働時間が短くなる」ということについても触れられていました。

生産性が低いから一日の労働時間が長くなってしまうと生産性と労働時間をセットにした考え方が最近浸透しつつありますが、私は生産性向上も時間短縮をするために大切な要素ですが安直にそのふたつをイコールにすることには違和感を感じます。

そもそも一人当たりの労働時間が長いというなら、全体で必要な労働力を一人当たりで割り8時間以内で仕事が終わるような仕事量に分配するということが前提になければならないと思います。

例えば、全体で必要な労働力が100必要だとします。これを10人で担当すると一人当たりの労働力は10になります。一人が10の仕事量(労働力)を8時間で処理することができていれば問題はないということがいえます。

一人が10の仕事量を8時間以下で仕事を処理することができて、初めて生産性が向上されているという状態になります。

つまり、「生産性を向上」させるということの意味が8時間以内で終わる仕事量を時間短縮して行うことができた場合だと私は思います。

一方、全体の労働力が100必要なのに対して、5人で対応しなければならない場合、一人当たりの労働力は25に割り当てられてその25を8時間以内で終わらせなければ生産性が低いとされてしまう場合があります。

そういう視点で「生産性」を考えてしまった場合、仕事量に対して人が少ないのにも関わらず一人の生産性を向上さえすれば人を増やさなくてもやっていけるよねっていう「コストダウン」が最大の目標になってしまっているため、管理側は適正人数を直視せず一人に対してキャパオーバーの仕事量を振ってしまっていることになります。

労働量がキャパオーバーのまま仕事に取り組んでいることにより、残業の慢性化や休日出勤により、生産性が低下して全体の仕事量を処理することができなくなるという負のスパイラルに陥ってしまいます。

全体の労働力(仕事量)が数値化できれば管理しやすく適正人数もわかるはずです。ですが、数値化できないことを逆手にとって激務を負わせて長時間労働強いる会社は非道であると思います。

一人当たりの労働時間を短縮して8時間未満にするには生産性より、まずは必要な労働力に対して適正人数にすることだと私は思います。

それでは今回もこれでお開きです。

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