「嘘も方便」仕事でこそ使わなければ心すり減りますよ。「誰も傷つけない噓」ならついていいのではと思った話。
上記記事で元になっているのはTwitterで下記のつぶやきが反響を呼んでいるということで取り上げられていました。
今日の研修
— 八葉さんぴらー (@heliac_arc) 2017年4月12日
部長「朝寝坊して遅刻確定のとき、どうすればいいかな?」
同期「会社に連絡して謝ります」
自分「(まぁ、そうだな…)」
部長「いい回答だけど90点。怒られちゃうからな。満点の回答は、『すみません、お腹が痛くて…』などと何か嘘をついて半休をとる」
同期と自分「」
これをみてとても面白いと思ったのが、時に嘘をついて事態を丸めるという方法について価値観が分かれてしまうということです。
このように事態を丸く収めるために「嘘も方便」と使うのは悪いことではないと思います。
このツイートのシチュエーションでは部長が新入社員にそれをレクチャーしてもいいのかという「善悪」の判断材料が思考の邪魔をして賛否にわかれてしまっています。
コミュニケーションの一部として、「誰も傷つけない嘘」はつかなければきりがありません。
例えば、下記記事のように会社を退職する際に退職理由がその職場人間関係がイヤだからというのは波風が立ってしまいます。そのために嘘を使ったりします。
このように、誰も傷つけない嘘や人に迷惑をかけない嘘をつくことは割とあるかと思います。
最初のツイートの話に戻ると部長というポストの人間が入社して間もない新入社員にその手段について容認する発言をしてもいいのかというところですが、個人的には日本人はどうしても会社に入ると自己犠牲をしてでも仕事を優先してしまうので、極論を言うとこの部長の助言はこれからの時代はどこでもいうべきだと私は思います。また、本来の管理職は部下のストレスマネジメントもある程度管理することも仕事の一部だと思いますので、部下に対して最初から「誰も傷つけない噓」はいいよって教えるは効果的です。
そんなウソを容認してもいいの?と反論があるかと思いますが、結局は寝坊しまくって毎日体調不良と嘘を使って休む人は重要なポストにはつけませんし、最悪の場合、会社でも浮く存在となり最終的に退職せざるを得ない状態に自然となります。
つまり、自然と自己責任で「嘘」をついていいよってことになるかと思います。性格的に嘘がつけない人は正直に事情を話せばいい訳ですし、選択肢のひとつとして嘘をつくことを容認するということです。
「嘘はいけない」とよく教育の場(特に道徳などの授業や体育会の部活など)で言われますが、過酷な働き方を強いられる日本では人間関係を崩さない「嘘も方便」のやり過ごし方とそれの容認する心を育てたらいいのではないかと思います。
それでは今回もこれでお開きです。
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