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ぼさとの定規

元書店員ぼさとが社会のこと、書店のことなど、思ったことを書いていきたいと思います。

同調主義を今でも押し付ける学校教育が嫌い。明治の富国強兵から何も思考が変わっていない教育の本質の振り返りとこれからの教育の本質について考えてみた。

 

私は昔から同じことをすることが嫌いです。
なぜそうなったのかという決定的な出来事は覚えていませんが、学生のときはなぜ同じことをするのだろうという疑問がふつふつわいていました。

例えば、集会。
なぜ、全校生徒が集まってつまらない話をするのでしょうか?
例えば、運動会。
なぜ、紅組、白組にチームに分かれて対抗し、団結をしなければならないのでしょう。

しかし、日本の教育では「同調主義」をこうした行事から、日常の授業まで徹底して刷り込み教育を行います。
インターネット登場前まではこうした教育により、日本の景気を支え、一定の成果が上がっていたのは確かだと思います。

何故かというと、明治期からこうした一つのことを全員で行うという教育が施され始めており、それは富国強兵を目指した国策の一環で、軍隊でいうことを聞く人材の育成だったり、軍隊を強くするために工場で大量生産するためには「一つのことを全員で行う」ことが必要になってきます。
つまり、国策として国民の教育が必要でその国策の目的が「富国強兵」だったので団体で言うことを聞く人材育成(奴隷みたいな考え方ですね)を施した流れだと思います。

戦争はおわり、国が立ち上がる時も愛国教育はGHQによって墨塗り(墨塗り教科書 - Wikipedia)にされましたが、日本の教育の本質はここでも変わらず、今度は戦後復興のために「一つのことを全員で行う」という戦前と変わらない本質をそのまま使うことにしたのでしょう。
そして、それも成功しました。何故かというと元々戦前から軍需産業を発展させた遺産として戦災で焼けてしまったとはいえ、工業力の基礎はありました。また、他国の戦争特需で需要が飛躍的に上がり、神武景気が始まりの高度経済成長期、そしてバブル期まで工業力を発展させて戦災復興を果たしました。

ですが、ここで日本の時が止まってしまいました。何故かというと時代が言うことを聞くロボットのような人材が大量に必要な時代が終わってしまったからです。
技術革新により、今までたくさんのひとが働いていた工場も自動化が進みました。そして、一番大きな出来事はインターネット、PCの普及によるIT化が国を運営するうえで必要な人材が「一つのことを全員で行う」人ではなく、「ひとつのひらめきやセンスで今まであるサービスを便利にする」人材のほうが必要になってきました。

ここで最初の話に戻りますが、今の日本の教育は明治期より変わらない本質で行っているために現代とかなりのずれができてしまっていると私は思います。
今は「団体の中で同調することが大切」と説いていますが、本当は「自分の能力を100%以上表現することによりその個々の能力が集まって国が豊かになる」という個々のクリエイティブ思考で世界を変えることができることを教えるべきだと思います。
日本でスマートフォン(I Phone、アンドロイドなど)が生まれなかったり、画期的なSNSサービス(TwitterFacebookなど)など世界で爆発的にウケるネットサービスやIT端末がないのはクリエイティブな思考の教育が不足しているからだと思います。
今もそうったIT産業に日本は貢献してるじゃないかという意見もあるかと思いますが、結局は元々あった精密機械を作るハード面での技術しか貢献していません。肝心なソフト面ではさっぱりです。

ソフト面がなぜ日本のものが使いにくいのかというとこうした日本人の「同調主義」が邪魔をしていると思われます。
この機能をつければ、万人に喜んでもらえるという使った人全員に喜んでもらおうという思考が強すぎるように思います。
なので、いろんな機能を詰め込んでしまい、どうしてもシンプルな設計からはかけ離れてします。
そうして、本来万人に喜んでもらうつもりが、わかりにくいものになり、市場に受け入れられず、失敗に終わっていきます。

例えば、フィンランドはネットサービスの企業の誘致を国策として進めており、数々の画期的なサービスを生み出しています。(参考:ネット企業が続々誕生 フィンランドの秘密 | 週刊東洋経済(ビジネス) | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準
また、国として教育の面でもIT化をサポートするようにシフトしており、義務教育でプログラミングの授業を必須科目にするようです。(参考:IT産業大国フィンランド、小学校からプログラミング必須に!|ナイトズーキーパー

私は昔から学校嫌いで、その嫌いの原因がこの「同調主義」の刷り込みが一番の原因だと考えています。
少しでも同じことをしなければ、先生から目をつけられて、仲間のはずの同級生からはいじめの対象になったり、人間関係が構築できなかったりと異端を許さない雰囲気がつよすぎます。(幸い、私自身は学校のシステムになじめず不登校にはなりましたが、いじめなどには逢いませんでした)〇か×かで考える思考が強すぎます。
〇か×かということでは測りきれないことは世の中にはたくさんあることをもっと教えるべきではないかと私は強く思います。

それでは今回もこれでお開きです。

 

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