ぼさとの定規

元書店員ぼさとが社会のこと、書店のことなど、思ったことを書いていきたいと思います。

【社畜宣言】入社式のニュースを見て、入社式を中止して生産性を高める新人を育てる教育プログラムに金かけろよって思った話。

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今年は4月1日が土曜日と多くの会社は休みの暦となっていましたが、一部の会社では例年通り入社式が行われたそうです。

日本ではおなじみの光景ですが、私は昔から違和感があります。私自身が元々こういった儀式じみた意味がないことが好きではないという気持ちが大きくこういったことに嫌悪感を過剰に抱くだけかもしれませんが、どうも滑稽に見えます。

学校でもないのにも関わらず、入社する全員が一堂に集められて集会をし、その会社に一生尽くしますと言わんばかりの入社にあたっての誓いを言ったりだとか、社長、会長からの毎年大して変わらないメッセージを新入社員に披露したりだとか、社会人になる心得を身につけましょうだとか、社長から一人ひとりに辞令を渡すなどを一体何の意味があるのでしょうか?

現代ではメールで新入社員向けに社長から激励のメール一通送れば済む話のような気がしますし、会社側もただ、慣例だからという理由だけで面倒なセッティングをして行っています。

入社式は誰の身にもならなく、生産性もなにも生まれない不毛な式に思えます。

こういうことを言うと大体反論意見として「こうした式をすることで社会人としての自覚が生まれる」とか「入るときの一つの区切りとして行うべき」など精神的な面で理由建てをしてきますが、そういった精神的な区切りをすることに何が得られるのでしょうか?ただの自己満足としか思えません。

近年の入社式はなんと保護者も出席してもOKな入社式もあるようです。学校まではわかりますが、なぜたまたま入った会社の入社式に保護者が出席する必要があるのでしょうか?また、保護者もなぜ独り立ちして大人になった子供の入社式まで顔を出すのでしょうか?その感覚が正直理解しがたいです。

そもそも、入社式はいつ頃確立されたものかを簡単に調べてみましたが、それを明確に示す文献などは現在のところ発見されていないようです。(参考:「入社式など不要だ!」が伝統化する日本~入社式の歴史、アンチテーゼ、現状分析(石渡嶺司) - 個人 - Yahoo!ニュース)研修自体は大正時代から銀行などで始まっていたようですが、入社式は戦中くらいから一部企業ではされていた形跡があったようです。おそらく、戦後、特に経済成長期付近で一気に風土として確立された可能性があります。

つまり、入社式という不思議な儀式は終身雇用前提の時代に作られた風土を今も決まり事だからとちんたらとやっているわけです。
現代は終身雇用になる保証はどこにもありません。50年前に比べてサービスが多様化した現代では職種も多様化しており、人材も他の職場へ流動しやすくなっています。少しでも魅力的と感じなければすぐに職場を去っていきます。
そのような世の中なのに、入社式で「会社に貢献します」という誓いはいみがあるのでしょうか?

こんな非生産でコストが無駄にかかる式は即やめて、別な新人教育プログラムなどにそのお金をつぎ込んで、生産性の高い人材に育てたほうがいいのではないかと毎年、ニュースを見て思ってしまいます。

それでは今回もこれでお開きです。

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