ぼさとの定規

元書店員ぼさとが社会のこと、書店のことなど、思ったことを書いていきたいと思います。

2日前に耳をすませばを途中からみて、1989年と2017年の差をみて、思ったことなど

 

最近は1~2年に一回はやっている、ジブリ映画の「耳をすませば」(耳をすませば - Wikipedia)を途中からみました。何回もみてて、わかっているよと思いながらも結局最後まで見てしまう魔力は、もちろん作品のすばらしさは第一にありますが、中学生を題材にしており、青春のセンチメンタルが大きいなって毎回思うのです。

 

今回途中からみて思ったことは、以下の通りです。

・悩み相談は友達の家でする。
・主人公が本好きということもあるが、メディアとして本が主役だった。
・人生選択の仕方は日本独自の世間体を気にすること。

 

ひとつづつ考えていきます。

・悩み相談は友達の家でする。
この約30年の間に携帯電話やインターネットが急速に普及しました。1989年から約30年が経った現代では携帯電話所有者の低年齢化も進み、中学生の携帯電話保有率は78.6%(2015年調べ:参考:中学生携帯電話・スマートフォン所有率 [ 2015年第一位 神奈川県 ]|新・都道府県別統計とランキングで見る県民性 [とどラン])となってり、持っていないほうが少ない世の中になりました。
現代は、直接友人の家に出向き相談するより、LINEなどでチャット相談するのが一般的かと思われます。

・主人公が本好きということもあるが、メディアとして本が主役だった。
この作品では本は重要な位置づけになっており、偏って描かれている部分もありますが、まだ、ネットが登場する前の世の中では図書館に出向き、物事を調べること(作中でも、主人公の雫が小説を書くために図書館で調べています。)は当たり前でしたが、現代ではWikipediaで済みます。今やネットがメディアの主役です。

・人生選択の仕方は日本独自の世間体を気にすること。
これも、当時のメディアがテレビと新聞と書籍が中心で、高度経済成長期後の同一主義である世の中では仕方ありませんが、いい大学を出て、いい企業を・・・という思考が強い時代であるように作中でも描かれていました。(この作品では人生どのように選択してもいいと描かれていますが)
今でもその思考は根強いですが、もし、現代に雫がネットの情報を見ることができる環境で育っていれば、こういった思想が偏っていることに誰にも相談せずに気づいた可能性があります。

いずれも個人的な感想で偏った話ではありますが、ネットがメディアとしての強さがこれだけでもわかります。30年でこんなに変わってしまうものなのですね。