ぼさとの定規

元書店員ぼさとが社会のこと、書店のことなど、思ったことを書いていきたいと思います。

日本人の我慢は美徳という思考から自由になる日は来るのだろうか?

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「苦しんだ分だけ報われる」とは自分らしく幸せなライフスタイルを形成するときに必要な苦労をしたときに初めて結果として「報われている」という状態になることを指すと私は思っています。

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日本人の思想には「根性論」が根深くあり、「努力をすれば報われる」と現代まで信じられており、確かに過去を見てみると根性論を掲げてオリンピックでメダルを取っている例や成功哲学として「練習すれば報われる」例は多々あります。

「根性論」自体をここでは否定するわけではなく、「根性論」を悪用してすべてのことが成功するという思考がいたるところで見らるのが問題だと私は思います。

現にパワハラなんてものは根性論の悪用する典型的な例です。

時間を投入し、鍛錬を重ねれば重ねるほど成果がでることに対して「今、我慢すれば必ず報われる」というのであれば、それは確かに事実になります。
しかし、無駄な鍛錬を重ねて、自分のために全くならず、報酬も手に入れることができないことに「我慢」を強要し、自分のために全くならないことに気が付き、その強要された「我慢」をしなかった者には「我慢が足りない」というのは明らかなパワハラです。

パワハラをする人は大体、すべてのことを「根性論」「我慢」「鍛錬」で解決できると考えているかと思います。つまり、視野が狭く、問題解決能力が低くマネージメント能力もないにも関わらず「根性論」を強要するのです。

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このパワハラの考え方を企業全体で行っているのはブラック企業であり、本人に対して、見に就くスキルもなく、報酬が発生しない作業を延々とやらせて気が付いた時には搾取されていたということになるのだと思います。

ブラック企業に自分の貴重な時間と体力を献上している状態で「誰かが見てくれているはずだから、きっと報われる」と思っていては状況は明らかに打破されないことは目に見えていますよね。

ブラック企業がいかに日本人の我慢は美徳という考えを悪用しているかがわかります。

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我慢が美徳であるという思考は悪いわけではありませんが、それが本当に自分が幸せになる我慢であるのかは考えなければなりません。
そういう考え方ができないと社会に搾取される運命しかありません。

思考は現実化するにもあるように、将来なりたい自分をしっかり考えたうえでの我慢をすることは必要ですが、それ以外の我慢に一体何の意味があるのでしょうか。

こうした名著には既存の考えをぶち壊すヒントがたくさんあり、勉強になります。

 自分にしっかりとした軸を持っていないと自由になれる日は永遠になさそうですね。

それでは今回もこれでお開きです。

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