ぼさとの定規

元書店員ぼさとが社会のこと、書店のことなど、思ったことを書いていきたいと思います。

日本全体が精神疾患にかかっているような気がする。。。高度経済成長期に日本は富を手に入れた代わりに失ったもののリストを作ってみてそう思った。

 

高度経済成長期に現在の日本経済の基盤となった産業や、建築物、インフラなどは今もなお、第一線として利用されています。
現在ではそれらが老朽化し始めており、どのように更新していくかが国としての大きな課題になりそうです。

また、現代の日本社会での倫理観や価値観は高度経済成長期に作られ、そのまま40年以上も引き継がれているものが多くあります。
富と引き換えに日本人の心をむしばみ、現代のゆがんだ精神構造をつくってしまったように思えます。
下記に思いつく限り、日本人の心が高度経済成長期によってゆがんでしまったことをまとめてみました。

  • 働くのが美徳(それをうまく利用したブラック企業ができてしまった。)
  • 我慢することが美徳(うつになるまで我慢するようになった。最悪自殺するようになった。)
  • 一億総中流(不景気で格差が生まれているにも関わらず、全員が中流だと思い込んでいる。貧困問題に世間が目を向けなくなった)
  • 大量消費をすることが前提(ものを大切にする文化がなくなった。)
  • 一致団結、同一主義、同調主義、世間体(正社員になることが社会人の証だという風潮を作り、それ以外の生き方を否定している。引きこもり、ニートの増加)
  • 都市一極集中(地方の過疎による衰退、大都市圏での満員電車や超過密を作ってしまった)
  • なんでも便利になって当たり前(24時間営業やサービス過剰、クレーマーの増加)

ほかにもまだまだありそうですが、この時代の価値観がどれだけ現代の日本人が苦しんでいるかなんとなく想像がついてしまいます。
高度経済成長期の価値観をすべて否定するわけではありません。ただ単に現代にあまりに合わない価値観なのにも関わらず、価値観の教育が高度経済成長期で止まっているように思います。
本来、小中高校といった教育機関はこれからの時代を作る人材を育成する機関であるはずなのに、古い考えを基軸にして教育を進めているように感じます。
もちろん、ハードの面ではPCを授業で取り上げるようになったり、教育指針の改定などにより、ゆとり教育やダンスを必須にするだとか、そういうマイナーチェンジはしていますが、ソフト面である「新しい価値観」の教育が全く整備されていません。
今の世の中、中流階級がほぼ存在しなくなった社会で、なぜ中流階級を育てるような価値観をずっと変わりなくおしえているのでしょうか。

教育の面以外でも現代社会ですら、上記リストの価値観を持ち続け、現代の実態に全くあっていないのにも関わらず振りかざす人や会社が多すぎです。
だから、それをうまく利用したブラック企業が大量にあったり、消費者も過剰サービスを求めすぎて、すぐにクレームばかり言ったり、少しでも「サザエさん」的な生活や価値観から外れている人がいたら、直接言葉や態度でバカにしたり、いじめてみたり、大小さまざまなモラルハラスメントが横行しています。
傷ついた若者はニートになったり、引きこもりになり、うつ病になり、最悪、自殺を選んでしまいます。

これはもう、日本人全体として精神疾患にかかっているのではないかと思ってしまうくらい異常なことだと思います。
頭がおかしいって言っても過言ではないです。

これからの時代は「心に余裕をもつ」ということが最も大切になりそうです。今まで、そういった古いモラルを振りかざしている人が今度はあかっぱちを時代になってくれたらいいなって思うのですが、そうもいかなそうですね。

今回もこれでお開きです。

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なぜ、日本の教育では「将来自分がなりたい姿」をイメージさせるような教育がないのか。高校のときの進路説明会で「生涯年収が高いと幸せになる」って教えられたんだけど、これって社畜になって生きろって言っているようなものだよねって思った話。

 

日本ではまず、どこかに就職することが「社会人」としての第一歩ですと小中高の教育や倫理観として教えられてきています。
たとえ、大学や短大、専門学校に行っても卒業と同時に内定をもらっていなければこまるでしょ?みたいな圧力をかけたり、就職セミナーなどでも「就職した会社でのキャリア形成を今から描け」だとか、「一回選んだ会社には最低でも3年所属しなさい」だとか、「会社をすぐにやめて転職をするとキャリアに取り返しのつかない傷がつくから無茶なことはやめなさい」だとか、なんとも保守的な考えに基づいて、若者に教えています。

私がこういった思考に疑問に思い始めたのは高校の時に受けた進路選択について説明される集会でのことでした。
2年生の時だったと思います。体育館にわざわざ集められて、大学、短大、専門学校への進学のメリットと高卒で就職するメリットと進路が決まらず、フリーターなどで働くメリットについて説明がありました。

その説明の中でクローズアップされたのが、生涯収入についてでした。お金が一番もらえるのは大卒で卒業した場合だから、まずは大学へ進学しなさいと大学進学をお勧めしたあと、手に職をつけるには短大、専門学校でいいけど大卒よりもらえるお金は少ないよと、高卒で就職してもいいけど大卒と生涯年収にかなりの差(当時のデータで1億くらいだったと思います)が出るよとか説明がされました。

そして、契約社員派遣社員、フリーターで一生働くのはいいけど、生涯年収が一番低いからやめたほうがいいよとお決まりのようにそういった生き方はダメだという結論で終わりました。
その時はまだ高校生でなにもわかってはいないのでぼんやりと違和感がありました。なぜ、契約社員やフリーターはダメなのか?なぜ、生涯年収が低ければダメなのか?そんなもやもやがありました。

いま、思ってみると当時の教育(10年以上前)で生涯年収が多ければ多いほど、豊かであり、あたかも幸せな生活であるというような偏った表現であるように思えます。
確かに一つの指数として生涯年収を取り上げるのは別にいいと思います。
しかし、高校生の進路指導において一番大事なのは「教育が終わった後、自分がどのようにイキイキとした人生を送ることができるか」ということがコアとなるはずじゃないでしょうか?

18歳の時に「自分がなりたい姿」が見えている人は日本では少数のような気がします。なぜ、「自分がなりたい姿」をイメージすることができないかというと、上記のダメな進路説明会ようにただ、大学に進学して、働いてお金もらって、結婚して、定年を迎え、老後を楽しめばいいやくらいにしか高校生にイメージを与えることができないからではないでしょうか。
そんな、安泰な時代はとっくの昔に終わっているのに、高度経済成長期で時が止まったままの思考で「生涯年収が多ければ幸せです」みたいなことしか教えてないから自分のなりたい姿をイメージすることができないのではないのでしょうか?

例えば、フリーターで25歳くらいまで働いていて、そのまま内部登用でアルバイトから正社員になるような人生もありますし、もっとぶっ飛んで考えてみると、ニートや引きこもりがIT関係の会社を立ち上げて就職したことがない状態で社長になったとか、そういった事例たくさんありますよね?
キャリアにとらわれなくても、年収100万くらいでひっそりと暮らすのもいいこと(例:20代で隠居 週休5日の快適生活 年収90万円で東京ハッピーライフ)だとか若いうちに世界一周をして、自分探しをしてみようとか現代ではそういったゆるい要素も必要だとだと私は思います。

でもそれは「例外だから」とか「社会人らしくない」いう理由でおそらくそういったキャリアの説明会には出てきません。
日本では社畜になって社会人として生きることが正しいことなのでしかたないのかもしれませんね。
いま、高校生、大学生くらいの方は後悔しないうちにいろいろ考えたほうがいいかもですね。

それでは今回もこれでお開きです。

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